ドイツ友

2010年8月9日

核なき世界へ

Filed under: ●歴史 die Geschichte — ドイツ友 @ 09:08
IMG_3401 日本のことはよくわからなくても、HiroshimaNagasaki について知っている人は多いです。
  特にドイツでは”同じ 敗戦国 die geschlagene Nation ということで関心が高いよう。
  そしてよく聞かれる質問は
      「原子爆弾 die Atombombe による 犠牲者 das Opfer は何人だ?」
      「第二次世界大戦 der Zweite Weltkrieg による 死者 der Toter はどれくらいだ?」。
      「う~ん、何人だろう… かなり多いだろうけど…」と答えられない私。
   毎回私よりも詳しい旦那に答えてもらっている状態... 情けないっ恥ずかしい
  
ある一定レベル以上の 知的な intelligent  ドイツ人は
          あらゆる数字(年号含む)が頭に入っていてスラスラとそれらを説明するんですよね。 これには毎回驚かされます!
 人口 die Bevölkerung / Einwohnerzahl 面積 die Fläche などは 朝飯前 einfache Sache なのだっ
  ※人口(2008年) 日本 : 127,288,419人(10位) 、ドイツ : 81,750,000人(16位)
     面積 日本 : 377,914km² (60位) 、ドイツ : 357,021km²(61位)
    
親しい人に広島・長崎出身者はいないし、知人からご家族・御親戚が被爆された、というような話を聞いたことがないので
この原爆被害について大まかにしか知りませんでした。 異国で生活するようになり 客観的に objektiv 日本という国を
               見るようになってから、これらの悲劇も含め、日本のことを知っておくべきだと思うようになりました。
唯一の被爆国代表としてちゃんと答えられるように調べてみました ↓
 
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 広島と長崎への原爆投下 Atombombenabwürfe auf Hiroshima und Nagasaki
 
 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、広島市に、ウラン型原子爆弾リトルボーイが 投下 der Abwurf された。
 市内の中央部に位置する相生橋が目標点とされ、投下された原爆は上空580メートルで炸裂した。
 当時の広島市内には約34万2千人がいたが、爆心地 das Explosionszentrum から1.2kmの範囲では
         当日中に50%の人が死亡し、同年 12月末までに bis Jahresende 更に14万人が死亡したと推定される。
 爆心地から2kmの範囲で建物のほとんど全てが倒壊し、
                  3.5km離れた場所でも素肌に直接熱線を浴びた人は 火傷 die Brandwunde を負った。
 爆心地から 半径500メートル以内での in einem Radius von 0,5 Kilometern um das Explosionszentrum
 IMG_3288  被爆者は 即死 sofortiger Tod および即日死の死亡率が約90パーセントを越え、
      500メートルから1キロメートル以内では、即死および即日死の死亡率が約60から70パーセントに及んだ。
 さらに 生き残った人 der / die Überlebende も6日目までに約半数が死亡、
                                      次の6日間でさらに25パーセントが死亡していった。
  ひらめき2010年8月6日、この1年間に亡くなったり、新たに死亡が確認された5501人の名前が書き加えられた
                               26万9446人の原爆死没者名簿が慰霊碑に納められた
 
 1945年8月9日午前11時2分、プルトニウム型原子爆弾ファットマンが長崎市北部のテニスコートの上空に投下された。
 当時の長崎市の人口は約24万人、同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、
       負傷者 der Verwundeter / Verletzter 7万4909人、建物の約36%が全焼または全半壊した。
  ひらめき2010年8月9日、この1年間に亡くなったり、新たに死亡が確認された3114人の名前が書き加えられた
                              15万2276人の原爆死没者名簿3冊が奉安箱に納められた
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なぜこの二つの都市に原爆が投下されたかというと...
 大空襲の無い主要都市である(爆弾がどのように機能するか被害を確認するため)
 連合国の捕虜収容所がない、軍事的(広島・兵站基地、小倉・小倉造兵廠)な価値が高い、
 住宅密集地をもつ
 などの条件から 広島・小倉・新潟 が最終候補地になり、
1度目は気象条件が揃っていた 広島 、2度目の小倉は気象条件が整わず 長崎 に変更されたそうです。
       多くの民間人が犠牲になるのがわかっていてなぜ... 他に方法はなかったのだろうか~
 
yosei_p  日本と違ってドイツで8月に第二次世界大戦関連のテレビ番組はほとんどありませんが、
 ルース駐日米大使が出席した今年の平和記念 式典 das Gedenken の様子もニュースで取り上げられ、
 広島の原爆に関する番組が 〈3Sat〉 〈phoenix〉 で放送されました(両方とも同じ再放送番組ですが~)
 この番組内で 二重被爆者 doppelte Hibakusha (Atombombenopfer) の1人である
 山口彊(つとむ)さんがインタビューに答えていました。  山口さん、今年1月に亡くなられたんですね...
 
 ●放射線被曝
   爆心地付近は鉄やガラスも熔けるほどの高熱に晒され、強力な熱線により屋外にいた人は全身の皮膚が炭化し、
   内臓組織に至るまで高熱で水分が蒸発した。
 ●放射性降下物(フォールアウト)による被曝
   広島市の北西部に降った「黒い雨」などによる被曝被害も発生した。
 ●二重被爆者
   広島市、長崎市のどちらにも居合わせ相次いで被爆した人がいることが、2005年に国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の調査で判明。
 ●二次被害者(入市被爆)
   投下後に救援や捜索活動のために市内に入った人も含めて急性障害が多発した。
 ●救護被爆者
   爆心地から離れた病院などで救護中に残留放射線を浴びて被爆した人もいる。
 ●外国人被爆者
   原爆投下当時、広島市と長崎市にいた韓国人、朝鮮人、中国人や捕虜として収容されていた兵士(英軍、蘭軍兵)の被爆者が存在する。
illust1145_thumb ●胎内被爆者、被爆二世(被爆者の子)、被爆三世(被爆者の孫)
   被曝による知的障害、身体障害、奇形児の発生が高くなり、遺伝的な健康障害が現れやすいと言われている。
 
実はこの原子爆弾、ドイツと深い因縁があります。
1938年、ウラニウム 原子核分裂 die Kernspaltung がドイツの
                                     オットー・ハーン Otto Hahn フリッツ・シュトラウスマン Fritz Straßmann によって発見されました。
 ※当時のドイツは科学の最先進国で原子核研究に携わる優秀な 科学者 der Wissenschaftler が大勢いた
1939年に第二次世界大戦が始まると、ドイツで原爆研究が開始されているという情報がもたらされ、
こうした危機感を背景にアメリカでも原爆研究が始まり、1942年9月には本格的な国家軍事プロジェクト
                                                        「マンハッタン計画  Manhattan-Projekt 」へと発展していきました。
 ※ナチス・ドイツ Nazi-Deutschland が先に核兵器を保有することを恐れた亡命ユダヤ人物理学者 レオ・シラード Leó Szilárd らが
   1939年ルーズベルト大統領に信書を送ったことがアメリカ政府の核開発への動きをうながす最初のものとなった
1945年7月16日にプルトニウムを原料とする最初の原爆が完成し、ニューメキシコ州の砂漠で
                 人類初の 核実験 der Kernwaffentest / Atomwaffentest / Nuklearwaffentest が行われました。
アメリカは原爆開発をめぐってドイツと競争していており、
                                                    もし原爆がもっと早く開発されていたらドイツに対して使用されていた可能性が高いようです。
しかし5月にドイツは 降伏 die Kapitulation しており、その投下目標が日本へとシフトしてしまいました。
                                  
                             
今年5月に行ったので、広島について前にちょっと書きました ↓
長崎には仕事で2日間滞在したことがありますが、空港→事業所→料亭→ホテル→事業所→空港だけだったので
                                          九州旅行をする際はゆっくりと長崎も訪れたいと思います。
  IMG_3359 IMG_3374  IMG_3327 IMG_3328
   ↑ 伸ちゃんの三輪車     ↑ 爆風で壁にささったガラス片          ↑ 原爆投下前後の広島市 ↑
 
IMG_3331 ← この被爆直後の写真【なみだのファインダー】を撮った松重さんのコメント
                                      (広島平和記念資料館展示)
    1枚目のシャッターを切るまでに30分はためらいました。
    1枚シャッターを切ると、不思議に心が落ち着き、近づいて撮ろうと思うようになりました。
    10歩ほど近づき2枚目を撮ろうと、ファインダーをのぞいてみるとあまりにもむごく、
    涙でファインダーが曇りました。
   
 65年経った現在でも新たに 原爆症 die Atombombenkrankheit が発祥するケースもあり、
 これらの原子爆弾による被害は未だに続いているのです。
 いったい何時になれば核なき世界になるのだろう~
 
  ※核兵器保有国 : アメリカ合衆国アメリカ合衆国の旗、ロシアロシアの旗、イギリスイギリスの旗、フランスフランスの旗、中国中華人民共和国の旗、インドインドの旗、パキスタンパキスタンの旗、北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国の旗
    核保有が確実視されている国 : イスラエルイスラエルの旗   
    核保有・核開発の疑惑国 : イランイランの旗、シリアシリアの旗、ミャンマーミャンマーの旗など
    過去の核兵器保有国 : 南アフリカ共和国南アフリカ連邦の旗、ベラルーシベラルーシの旗、カザフスタンカザフスタンの旗、ウクライナウクライナの旗

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