ドイツ友

2011年11月7日

杜の都

Filed under: ●日本の旅 die Reise in Japan — ドイツ友 @ 18:36

 
杜の都・仙台は私の好きな街のひとつ。
緑が多く、食べ物が美味しく、程良く都会で、暑くなく寒過ぎず、街が綺麗だから。 (仙台から戻ってくると、毎回新宿の雑然状態が汚く感じるさっ)

慶長6年(1601年)、武将 der Kriegsheld伊達政宗 が青葉山に das Schloss / die Burg を築いたことで仙台藩が誕生しました。
 ※石高62万石は加賀・前田氏、薩摩・島津氏に次ぐ全国第3位

その仙台城跡(現在は青葉山公園)に行ってきました。 ※雅称は青葉城 / 五城楼
江戸城に次ぐ大きさを誇り(約2万坪)、全国最大級の城であった仙台城は
廃藩置県 die Abschaffung der Han und Errichtung der Präfekturen (廃城令)までの約270年に渡り
                伊達氏代々の 居城 die Ritterburg であり、仙台藩の 政庁 das Regierungsgebäude でした。

地震 das Erdbeben などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、一度も 戦火 der Kriegsbrand を見ることなく
   要塞としての機能を終えました仙台城ですが、明治初期から大正時代にかけてその大半が失われました。
そして昭和20年(1945年)7月、アメリカ軍の仙台空襲を受けて 大手門 das Haupttor einer Burg 、脇櫓、巽門、護国神社などが焼失。
さらに戦後、駐在したアメリカ陸軍により三の丸巽門が破却されたことで仙台城跡にあった現存する江戸期の建築遺構はすべて失なわれました。
 ※脇櫓は戦後に再建された
日本のお城(城跡)を訪れる度に感じるけど...現存するお城が少な過ぎ!ホント、残念だな... 悲しい 

出羽国米沢城で産まれた政宗は黒船を建造して家臣の支倉常長率いる慶長遣欧使節をメキシコ経由でヨーロッパへ送り、
ローマ法王への 謁見 die Audienz を実現するなど画期的な日本最初の通商外交を展開しようと試みました。
明治天皇は 「政宗は、武将の道を修め、学問にも通じ、外国の事情にも思いを馳せて交渉を命じた。
文武に秀でた in Gelehrsamkeit und Kriegskunst bewandert sein
                               武将とは、実に政宗の事である」
と評したそうです。

← 凛々しい政宗の騎馬像

政宗は幼少時に患った 天然痘 Pocken により右目を失明し、
          刀の鍔形の 眼帯 die Augenbinde で”独眼竜”として有名ですが
公園内の 騎馬像 das Reiterstandbild は彼の遺言に従い、両眼を開いたものになっています。

   
   ↑ こんな立派なお城だった                               ↑ 宮城縣護國神社         ↑ 左・ドイツ製のジョッキ(のようなもの)
                                                   伊勢神宮別宮「風宮」の旧社殿を移築して復興
  
     
       ↑ 騎馬像の横の彫刻 ↑        ↑ 仙台こけしなどが売られていた                    ↑ 仙台市街が一望出来る   
    
 ↑ 「美味し国」なり~    ↑ 帰りの新幹線は 「塩竃 藻塩弁当」&「網焼き牛たん弁当」 ↑         ↑ ホテルでの朝食

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