ドイツ友

2012年4月22日

Schwedt

Filed under: ●その他 und so weiter — ドイツ友 @ 08:40

私達がつい先日まで住んでいた街は シュヴェート Schwedt an der Oder
ブランデンブルク州 Land Brandenburg の最北東部・ウッカーマルク郡 Landkreis Uckermark の第二の都市です。
 ※ポーランドの西ポモージェ県(第二次世界大戦まではドイツ領)にSchwedt(ドイツ名)という町があり、
   そこと区別するために正式名称は”オーデル川の an der Oder(略 / Oder)”がつく

日本で売られているガイドブックには載っていないし、
他の地域のドイツ人(特に西ドイツ人)からも 「Schwedt?それどこ?」 と言われるようなマイナーな街です。

かつてはドイツ最大規模(44km²)の タバコ der Tabak 作付面積を誇っており、
素敵な湖畔の居城・シュヴェート城 das Schwedter Schloss がありました。
 ※ブランデンブルク=シュヴェート Brandenburg-Schwed(1688年-1788年、ブランデンブルク辺境伯領に存在した行政地域)では
   オランダ人移民とフランスのユグノー難民がタバコの栽培に従事していた

 ※第二次世界大戦中に ソ連軍 die Sowjetarmee によってシュヴェート城は破壊された → 今はなき..
 ↓ 先日の 『ファウスト Faust』 上演日にはベルリンやライプチヒなど他都市ナンバーの車をいっぱい見ましたよ。
  
↑ お城の跡地は劇場になった   ↑ 立派な庭園だった場所     ↑ 昔の 給水塔 Wasserturm   ↑ 旧市街地 Altstadt
  Uckermärkische Bühnen Schwedt

   
プロテスタント教会 ↑             ↑ カトリック教会       ↑ 旧市役所(左)          ↑ 裁判所 Amtsgericht (右)
 Evangelische Kirche            Katholische Kirche                      通り奥の建物の壁画が素敵

   
市役所 Rathaus / Stadtamt ↑ 届出婚を挙げる式場    ↑ 式場前の像とフランス改革教会 ↑ 結婚祝いに市からもらった料理本
                         私たちもここで式をあげたが、大雨でこの像を前に写真が撮れず… 一度も使わず捨てることに…

第二次政界大戦後の旧東ドイツ(DDR)時代は 石油化学工業 die petrochemische Industrie 都市として発展しました。
1960年に大規模な石油精製所 PCK Raffinerie が竣工し、人口が急増。
PCKの敷地内には、外来病院、薬局、幼稚園、プールなど充実した施設があり、
          市内にはドイツ人住宅だけでなく外国人用宿舎なども整備され、それなりに活気はあったらしい。

日本の企業・TEC が手がけた重質油分解プロセスの石油プラントもあり(現在も稼働中!)、
当時はエンジニアや通訳やその家族など日本人も複数駐在していたんですよね~
義母はその1人の エンジニア der Ingenieur と親しくしていたそうで、
彼からもらったという(なんちゃって)着物や伊万里焼の湯飲み、象印魔法瓶などを今でも大事に持ってますよ。
(うちの旦那の日本への憬れはここから始まった?!)

現在でもPCKは、ドイツの大手精油企業で、毎年1千万トン以上の原油を処理しています。
ヨーロッパ最大の製紙会社 Georg Leinfelder GmbH (LEIPA) もありますよ。
 
             ↑ PCKの敷地はかなーり広い(中には線路も通っている) ↑
 
 ↑ 敷地内にある訓練校                 夜のプラントの明かりは超キレイなのだぁ~ ↑     ↑ LEIPAもデカイ!

ドイツ再統一後は他の東ドイツ地域と同様に 人口 die Einwohnerzahl の流出が激しくなりました。
1980年代半ばには約54,000人(そのうち何人かは日本人)だったのに対し、現在は約34,000人(日本人は私だけ)。 ※2010年の人口 34,197人
人口80,000人以上を想定して作られた 住宅 die Wohnung / das Wohnhaus の一部は現在は壊され、緑地化が進められています。
(日本人エンジニア家族が住んでいたという少し郊外の住宅も今はありません)
残った住宅(私たちが住んでいた住宅など)は外壁をちょっとお洒落に塗り替えたり、
バルコニー die Balkonエレベーター der Aufzug / Fahrstuhl / Lift を設置したり、など大規模に修繕されています。
 
  ↑ 可愛く塗装された学校       ↑ 椅子が飛び出てる!   ↑ アンペルマンが!     ↑ カラフルに塗装され
                                                             駐車場も整備中

人口に比べて スーパー der Supermarkt がやたらに多く、劇場 das Theater水族館 das Aquarium
スポーツセンター das Sportzentrum などの施設も充実しています。
そしてドイツで最も美しい低湿地帯、オーデルタール下流国立公園 Nationalpark Unteres Odertal があります!
長さ die Länge 60km、幅 die Breite (平均)3km、
   約 200 km²に及ぶ 面積 die Flächeハノファー Hannoverマクデブルク Magdeburg に相当するほど。
多種多様な der Vogel の生息地として有名で、150種類以上の鳥がこの地で 抱卵 die Brut しています。
他には40種類以上の魚と50種類の哺乳類が生息しており、ビーバーが作ったダムも見つけれれます。
国立公園内には サイクリングコース der Radweg が整備されており、週末には自転車を積んだベルリンナンバーの車をよく見ます。
     
  ↑ 国立公園内は、散歩やサイクリングに最適 ↑    ↑ ベルリン中央駅まで
                                     RE(快速)で1時間20分

外国人 Ausländer もけっこう住んでいますが、そのほとんどが ポーランド人 Polen です。
日本人は半径50km圏内にはいないようで、アジア人 Asiaten もほとんど住んでいません。
この4年間、街中でアジア人(らしき人)を見かけたのはたった5回 (ショッピングセンターのアジア軽食店で働くベトナム人らしき人々は除く)。
「えっ?日本から?お仕事で?何で日本人がベルリンなどではなくここに住んでいるのですか?」 という
驚きの質問を過去2回ほどドイツ人からされたことがあるので、街で私を見かけたほとんどの人はベトナム人と思ってるんだろうな...

治安がとても良く(犯罪といえば…お隣の国から来る車泥棒くらい)、
     家賃や 物価 der Warenpreis が安く、自然に恵まれた住みやすい街です。マジで!
ドイツ語が既に堪能な方か、家族が日本語を話せる方には
のんびり ”ロハス Lifestyles Of Health And Sustainability な生活” を送るには最高の場所だと思います。
私はドイツ語を勉強しないといけないし、周りに日本語を話せる人が居ないので、ここに住み続けるのは無理でしたが がっかり

電気 der Strom天然ガス das Erdgas地域熱供給(給湯、暖房) die Fernwärme などの
管理・制御用施設も奇麗にペイントされております ↓ (他の街に比べて格段に街中の落書きが少ない!)

   
                                    ↑ 音楽芸術学校 Musik- und Kunstschule

4件のコメント »

  1. はじめまして。私もドイツに住んでいて、今ドイツ語を勉強しています。まだ東の方はベルリンとドレスデンくらいしか行ったことがないんですが、写真を見るだけでも随分雰囲気が違いますね。こちらのブログはカラフルで見やすいし、文中にドイツ語も書いてあって勉強になるので、いつも楽しみに拝見しています。引越しされたばかりで大変だと思いますが、風邪など引かれないように気をつけてください。

    コメント by ふく — 2012年4月22日 @ 09:52

    • ふくさま
      コメントありがとうございます。東(や北)ドイツは日本語ガイドブックの情報が少ないですが、素敵な所はいっぱいありますよ~
      お互いドイツ語の勉強、がんばりましょう!(私はしばらくドイツ語の勉強から遠ざかってましたが、引っ越しを機にやらないと。。。) 

      コメント by ドイツ友 — 2012年4月22日 @ 14:41

  2. 東ドイツ時代SchwedtのPCKの重油分解装置、アロマなどを建設のためSchwedtに滞在していましたので、懐かしく拝見しました。当時Schilleringに住んでいましたが周りには東独の人が入らないように鉄条網が張ってありました。壁がなくなってから一度Schwedtを訪れましたが随分変わったのには驚きました。もう当時の東ドイツの友人も少なくなりました。

    コメント by 金川俊二 — 2013年7月21日 @ 02:47

    • 金川さま
      日本企業が建設したプラントは今でもきちんと稼働している、ということで
      私を日本人だとわかると人々はとても親切にしてくれました。ありがとうございました!
      (フランス企業が建てたものはアフターサービスが酷く、もう動いていないらしいです。)
      私が引っ越してしまったので、現在Schwedtに住む日本人はいないでしょうね。

      コメント by ドイツ友 — 2013年7月21日 @ 09:07


RSS feed for comments on this post. TrackBack URI

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

WordPress.com Blog.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。